Vol.55│光の原風景

秘境の灯り

投稿日:2014,07,31
画像出典:フォートラベル

 

夏が来れば思い出す・・・

現在、全国の小中高等学校の学生さん、大学生のみなさんは夏休み真っ只中にあることと思います。そして、大人になっても夏休みは心がワクワクし楽しい季節だと振り返ることができるでしょう。 かく言う私も、この時期に思い起こされる懐かしい風景がいくつかあります。その中でも特に思い出深いのが、大学4年生の夏に卒業研究の対象として訪れた、ある秘境の温泉で過ごした数日間です。

その場所とは群馬県にある霧積温泉で、ここは、森村誠一の小説、後に映画にもなった「野生の証明」の舞台にもなっている地なのですが、本日は世の中の暑さをしのぐために、肩の凝らない涼しげな私の思い出話を披露させていただきたいと思います。





“だしばりづくり”

当時、私が所属していた研究室は日本の古い民家など、庶民のための建築物を研究の対象としており、代々続く研究テーマのひとつに群馬県の温泉建築調査というがありました。その年は、私を含む数名がこの研究を担当しており、具体的に調査に向かった先が霧積温泉にある金湯館という宿でした。

この宿は群馬県の雪深い地域にあるため、積雪対策として建物の2階が1階よりもせり出す「出梁造り」により、軒下の雪が積もらない空間をつくる工夫がなされておりました。古い日本の建築を研究することは、未来の建築にヒントを与えることができる!と信じ諸先輩がたから連綿と続く研究の一つだったのです。そして、私たちの代にお題として提示されたのが「霧積温泉の金湯館」のフィールドサーベイであったのです。

フィールドサーベイ? これすなわち現地に行って測量し、建築の図面を起こすこと、古い写真を見せていただいたり、ご年配の方々に建物の使われ方の変遷などをインタビューすること。現状の写真を撮ること・・・。そんな訳で4年生が2名、3年生が2名、指導する先輩が2名、そんな編成の調査チームで、現地に調査に行くことになりました。

ところが、よくよく調べてみるとこの宿は、なかなか行きにくい山の奥にあったのです。私たち調査隊一行は、信越本線の横川という駅で電車を降り、そこからバスで40分くらい揺られたのち、今度は山道を徒歩で30分ほど登っていくという行程です。山道を上るところでは道案内のために旅館の方が降りてきてくれました。そして、宿泊者の荷物を車に乗せて運んでくれるのですが、その車というのは小型のブルドーザーのようなキャタピラ車でした。私たちは、調査の為にリュックサックに測量のための道具や図面を描く道具などが詰め込まれておりましたので、この小さなブルドーザーは大変心強い存在であったのでした。

「秘湯の宿」というと風情があっていい感じですが、本物の秘湯は、そう簡単には人を来させないようにできている・・・それ故に秘湯であるってことかなぁ・・・と先制パンチをくらった思いでした。

 



電気が通ってない!

温泉までの通路
画像出典:フォートラベル

これ程の秘境となると・・・そうです、お察しの通り、電気が通っていないのです(現在はどうやら通っているようですが)。当時、宿の電気は、水車とディーゼルエンジンによる自家発電で供給されておりましたが、限られた電力でまかなっているため、夜になると部屋に一つの裸電球がぶら下げられているだけでした。それらは、20ワットくらいだったのでしょう。点灯させても電圧が不安定なせいで、時折暗くなったり明るくなったりを繰り返しているのです。窓を開ければ涼しい風が夏の虫の声と共に入ってくる・・・何とも隔世の感がありました。私たちはこの宿で三泊し、午前中は測量調査、午後は図面制作、そして夜は宿の昔話を聞くのが毎日の仕事でした。当時は携帯電話も無い時代、外界との一切の情報のやり取りもない不思議な体験となったのです。

日本の建築が面白いのは、宿ができた当時から、それ以降の時代の要求に合わせて、自在に増改築が繰り返され今日に至っていること、西洋のように完成した建築デザインが永続するのではなく、変化するデザインである点にあります。私たちは、調査によって、この宿の間取りや屋根のデザインの変遷を図面化していったのです。人里離れた秘境の宿に投宿し、その宿の隠されたデザインの変遷をひも解く作業は、推理小説を読むよりワクワクした記憶となりました。
 
ところで、もう一つこの宿での思い出があります。それは、一日の終わりに入るお風呂の空間の記憶です。毎日仕事が終わる午後9時頃に、母屋から少し離れた場所にある風呂場は向います。ほんのりと月に照らされた夜道を歩いて到着したその空間は、やはり母屋より暗い10ワットのシリカランプが脱衣場に点いているだけでした。お風呂自体はちょっとした室内プールくらいの広さがありましたから、照明が10ワットの電球一個というのはかなりの暗さです。しかし、そこは秘境の秘境たる所以です。誰もが不満もなく湯船に入ります。ところが、この温泉、お湯の温度がほとんど体温と同じくらいなのです。入るとひんやり、いやむしろ寒い!という感じなのです。山間地の夜の冷気もひんやりするのですが、お湯(水)に入った方が寒いというのはどういうことなのでしょう?そういえば、宿の女将さんを務める年配の女性がこう言っておりました・・・「うちのお湯は長く、そう30分くらい浸かっているとポカポカしてくるからね!」

これほど冷たいとは思いませんでしたが、私たちは、女将さんの言葉を信じてお湯に浸かることといたしました。お湯に浸かっていると、今度は身動きができません。なぜなら動くと冷たい水がやってきてさらに寒くなるからです。したがって、ただひたすらじっとしているしかありませんでした。そして10分ほど経過すると、私たちの目は暗闇に慣れて、周囲の様子が良くわかるようになってきました。屋根に着いた湯煙を抜く高窓からは、月明かりが湯船に差し込んでいます。さっきまで真っ暗だと思っていたこの空間がそれなりに明るく感じてきました。そして、一方脱衣場の10ワットの電球がやけに眩しく感じ始めてきたのです。気が付けば、冷たいお湯に浸かっている両腕に気泡がたくさんついてきました。どうやら、この気泡は毛穴に隠れていた空気が追い出されたものらしいのです。そして、この気泡に気が付くと同時に、体が自由になれたように思えたのです。あれほど体を動かすことを拒んでいたのに、今ではもうすっかり自由に動き回れるのです。そして体全体がポカポカ、これがこの温泉の魔力なのか・・・?仲間と共にこの不思議な体験に心も熱くなったのを思い出すのです。

この薄明視状態の明るさとぬる湯の絶妙なコンビネーションが体にはとても優しいのかもしれません。それは、どちらも刺激のない明るさとお湯の加減でちょうどよく毛穴も視神経も含め、全身弛緩しているような感覚でした。この暗さはまだ各家庭に電灯が1球だった幼い頃の思い出とも重なって、また秘境の不思議な雰囲気とも相まって、今でもふと思い出す・・・、そんな夏の夜の光の原風景となっているのです。


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PROFILE
東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

1958年生まれ。工学院大学・大学院建築学専攻修士課程修了。
光と建築空間との関係に興味を持ち、建築デザインから照明デザインの道に入る。1990年より地球上の感動的な光と出会うために世界中を探索調査、アラスカのオーロラからサハラ砂漠の月夜など自然の美しい光を取材し続けている。2000年に有限会社ライトデザインを銀座に設立。超高層建築のファサードから美術館、図書館、商業施設、レストラン・バーなどの飲食空間まで幅広い光のデザインを行っている。光に関わる楽しいことには何でも挑戦! を信条に、日本初の試みであるL J (Light Jockey)のようなパフォーマンスにも実験的に取り組んでいる。






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