Vol.108|黄昏時はどんな時?

人の気持ちと明るさの関係
投稿日:2016,10,7
photo by BeckyEtal

話題のアニメ映画のシーンより

この夏、話題となったアニメーション映画「君の名は。」という作品があります。あまりアニメーション映画を観ない私ですが、そのストーリー内で描かれているエピソードが照明的に大変興味をそそられたので、ここでご紹介させていただきたいと思います。それは主人公である高校生が受けている学校の授業でのこと、先生が万葉集のある和歌を紹介すると共に、その中に使われている言葉が現在の「黄昏時(たそがれどき)」という言葉のもととなっていると説明するというシーンです。

た・そ・が・れ・ど・き、、、この言葉なのですが、普段はあまり口にしない言葉かもしれません。しかし、日本語の歌詞ではよく耳にしているでしょう? さて、みなさんは黄昏時と言われて、どんな時や情景をイメージするでしょうか? 今回は、その和歌を読み解きながら、黄昏について考えてみたいと思います。



万葉集の和歌

― 誰そ彼(たそかれ)と われをな問ひそ 九月(ながつき)の 露に濡れつつ君待つ我そ

さて、これが「君の名は。」の中に登場すると言う万葉集の和歌です。この冒頭の「誰そ彼(たそかれ)」は、今の言葉にすると「誰ですか、あなたは?」ということになるのですが、これは江戸の時代くらいまで、陽が落ちて人の顔が判断つかないくらいの暗さで、「誰ですか、あなたは?(=たそかれ)」とたずねて相手を確認していたというのです。 そのような理由で、この時間帯のことを“たそかれどき”、また略して“たそかれ”と呼んでいたのです。 なお、漢字の「黄昏」は調べてみると、その後に使われるようになった当て字のようですね。

ところで、相手の顔がわからないくらいの明るさというのはかなり暗いという気がしますが、それがどれほどの明るさなのか? それを、この歌から読み解いてみましょう。 この歌に出てくるキーワードとして九月(ながつき)というのがあります。万葉集の時代は旧暦(和暦)なので、グレゴリオ暦の現代では10月初旬から11月初旬を指しますから、まさに今の時期晩秋です。そして、その後に続く言葉が「露」ということから、急に冷え込んで空気中の水蒸気が結露するくらい気温が下がってきた頃ということがわかります。



どれくらい暗いのか?


photo by Slava Markeyev

黄昏が夕暮れ時というイメージはあっても、どれくらいの暗さのことを指しているのかは未だに曖昧な感じです。赤い夕陽が射しているとき、これは逆光でもない限り相手の顔は見えますので、この和歌の状況は夕日が落ちた後の時間帯かと考えられます。そこで考えるすべとして思い浮かんだのが、明所視、暗所視、薄明視という言葉です。これは視神経のシステムによる目の状態のことで、明るい場所では瞳孔が狭まって視神経のシステムは明所視となり、逆に暗いところでは瞳孔が開いた暗所視というモードになるのです。

薄明視は明るいところから暗いところ、また逆に暗いところから明るいところへ移行する際の中間の領域で、視界が不安定になり見えにくくなる状態のことを指し、現代では交通事故が起きやすい時間帯とも言われています。歌に描かれるたそかれどきは恐らく、詠み人の目がこの薄明視の状態だったのではないかと考えられ、さらに想像するに新月で月明かりさえない暗さだったかもしれません。



黄昏のある生活

薄明視は、明るいところから暗くなったときに視神経の明所視から暗所視になるスピードが追い付かない状態のことですから、それくらい早いスピードで暗くなっていったという状況が推測できます。

目が暗さに慣れてしまえばまた問題なく見えるものの、そのシフトチェンジ(暗順応)には10~13分かかるのです。ですから、照度にすると10ルクスから1ルクスへの移行が、10~13分以下という状態、つまり明るいと思っていたらあっという間にグーっと暗くなった・・・というのが、この和歌の状況なのでしょう。 また、歌の情景も、“露に濡れつつ待つ君”ですから、暗くなる中、待ち人が来ないというなんだか切ない、寂しい雰囲気です。確かに黄昏という言葉は時間帯の意味だけでなく、意味が転じて「盛りを過ぎ、勢いが衰えるころ」という表現にも使われるようになったのだそうです。

ところで、この黄昏は照明デザインで再現することができると思います。先述のとおり、10分くらいかけて、照度を10ルクスから段々と明るさを下げていくことで、人がたそがれるということを人工的に光環境シーンとして作り出せそうです。

えっ?でも何のために黄昏時の光をつくろうというのですかって?
はい、私たちの毎日の暮らしは黄昏ている時間などないではないですか!ですから、あえて黄昏る時が必要なのだと私は思います。ひとり黄昏て目に涙するような時間も心の栄養のためにはあったほうが良いと思うのです・・・・。泣けるあかり・・・それは黄昏の光なのかもしれません。

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PROFILE
東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

1958年生まれ。工学院大学・大学院建築学専攻修士課程修了。
光と建築空間との関係に興味を持ち、建築デザインから照明デザインの道に入る。1990年より地球上の感動的な光と出会うために世界中を探索調査、アラスカのオーロラからサハラ砂漠の月夜など自然の美しい光を取材し続けている。2000年に有限会社ライトデザインを銀座に設立。超高層建築のファサードから美術館、図書館、商業施設、レストラン・バーなどの飲食空間まで幅広い光のデザインを行っている。光に関わる楽しいことには何でも挑戦! を信条に、日本初の試みであるL J (Light Jockey)のようなパフォーマンスにも実験的に取り組んでいる。




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